『夏の想い出』
八月下旬を過ぎて、ようやく仕事が一段落した。
俺は久しぶりにまとまった休みを取った。
「遅いな、あいつ・・・」
この連休を利用して、彼女とどこかへ遊びに行こうと考えていた。
普段は仕事の忙しさにかまけて、全然彼氏らしいことをしてやってない。
彼女の名前は広瀬奈緒。
俺よりも年下の、お隣さんだ。
俺と奈緒は、あいつが生まれてからずっとの付き合いになるから・・・
俺たちの付き合いは軽く12年を越える。
ただし、彼氏と彼女の関係になったのは最近のことだ。
お互いを気にしていたところはあったのだが・・・付き合い始めるきっかけがなかった。
奈緒のほうはどうだかわからないけど、少なくとも俺はまだこの関係に慣れていない。
(しかし、暑いなぁ・・・)
夏の終わりとはいえ、まだ暑い9月である。
照りつける太陽とコンクリートの照り返しは未だ強烈で、たまらずコンビニに避難する。
店内のエアコンの風を受けて俺はほっと一息入れた。
ところで、お隣さんなのだから一緒に家を出てくればいい話しだと思うだろ?
なんで待ち合わせという事態になっているかというと・・・
「レディには色々準備があるのよ、タカヒロ!」
・・・奈緒がそういうから、ただそれだけ。
まあわからなくもないけど彼女っていうのもめんどくさいな。
そんなことを考えてると、コンビニの窓の向こうに可愛らしい格好の女の子が現れた。
オフホワイトの帽子にゴーグルを乗せて、薄手のカーディガンとチェックのワンピースか・・・それにあのニーソがまた可愛いな・・・
奈緒もこれくらい服装に気を配ってくれればいいのに・・・と思う。
そういえば改まってデートしたことはなかったもんな。
基本的にあいつはいつもTシャツとミニスカートだ。
いや・・・それで充分可愛いからいいんだけど。
そのうち俺は雑誌を見るフリをしながらガラス越しに背を向けた女の子をチラチラと見ていた。
彼女も誰かを探しているのかキョロキョロしはじめた。
頭の上のゴーグルが気になるのか、左手で押さえたりしている。
(あの仕草も可愛いなぁ・・・)
しばらくその様子を眺めていた俺だが、何となく違和感を覚え始めた。
この女の子、どっかで見たことあるような?
ふいにガラス越しの彼女がケータイを取り出した。
ピンク色のケータイ。
まあ女の子なら使ってそうなやつだけど、あのケータイもなんとなく見たことあるような??
「わわっ!」
俺のズボンのポケットでケータイが震えた。
慌てて着信を確認すると奈緒からだった。
「も、もしもし・・・奈緒か?」
「タカヒロー、どこにいるのよー! あーつーいー!!!」
「駅の近くにいるよ。おまえはどこにいるんだ?」
「あたし、コンビニの前にいるよー!早く来て!!あーつーいーよぉぉぉ」」
「・・・お前さ、ちょっと後ろ向いてみな」
「なんなのよー!・・・あっ!」
奈緒は言われたとおりに後ろを向いた。
そして涼しげな店内で立っている俺を見つけてケータイをブチッと切った。
『ターカーヒーロー!!!』
ガラスの向こうでオフホワイトの帽子が少し跳ねた。
俺の姿を見つけた奈緒は、スタスタとコンビニの中に入ってきた。
「なんでタカヒロだけ涼しいところにいるのよぉー!」
「そんなこといったって・・・暑かったから・・・」
走ってきたのだろうか、少し息を弾ませている奈緒。
そんなに慌てなくてもいいのに。
「もうっ!ちゃんと炎天下でカノジョを待ってなさいっ」
「・・・・・・。」
年下の癖に無茶苦茶なことを平気で言ってのける俺の彼女。
一般的に男性は付き合っている女性に対して優しさを求めるという。
もちろん俺もその一人だが、奈緒は俺に対してお姉さん的な態度をとる。
「ほらっ、早く行くわよっ」
「はいはい・・・」
「返事は一度でいいのよ!お兄ちゃん」
俺は奈緒にシャツの袖を引っ張られながらコンビニをあとにした。
俺たちが住む町から30分くらい電車で行ったところに大きな水族館がある。
なんでも沖縄の海に棲む魚を見ることができるらしい。
「タカヒロはお魚すき?」
「ああ、好きだよ。きれいだよね」
「あたしも好きー♪」
子供のように無邪気に喜ぶ奈緒。
時折見せるお姉さんっぽい部分よりもこういう表情に俺は弱い。
思わず奈緒の頭をポンポンと撫でる。
「あー!またあたしのこと子ども扱いしたー!!」
俺の意図を察したのか、頬を膨らませて抗議する奈緒。
お互いに顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
こんなことをしている俺たちは、端から見れば立派に青春していることだろう。
他愛ない話をしているうちに、水族館の最寄り駅に着いた。
水族館の切符を二枚買って、ゲートをくぐった。
その瞬間、真っ先に目に飛び込んできたのはお土産の売店だった。
「あー!あれみてっ、タカヒロ!!」
・・・さすがに反応が早い。
いや、水族館側の作戦勝ちというところか。
奈緒と同じように女の子たちが喜びそうなモノがたくさん置いてある。
「これ可愛い〜」
奈緒が手にしたのは銀色に光るイルカの形をした指輪だった。
いかにもおもちゃらしい仕様ではなく、それなりに上質な感じがするのが不思議だ。
「可愛いけどさ・・・奈緒、俺たちは魚を見に来たんだぜ?」
「でもっ、でも! むううぅ〜〜〜〜」
「ほらほら、先に行っちゃうぞ?」
「ちょっとまってよ!トイレいく!!」
不満そうにしながらも売店から離れる決意をする奈緒。
だが、そういうことは大声で言わないほうがいい、とあとで叱り付けてやろう。
「タカヒロッ! それ、イルカッ、見張っててよね!!」
「はいはい・・・」
トイレにいくとか、イルカを見張ってろとか忙しいことだ。
奈緒が戻ってくるまでの間、俺は言われたとおりイルカの見張り役に徹することにした。
数分後。
「おまたせー!」
「おう、おかえり」
「イルカはちゃんといるか?なんちゃって・・・きゃはっ!」
とんでもないオヤジギャグは聞こえなかった振りをして、俺はイルカ売り場を指差した。
予想通りイルカ指輪の様子を見に行く奈緒・・・
「あっ、あああああ〜〜〜〜!!!」
奈緒が驚きの声を上げた。
その理由はなんとなくわかる・・・
「ちょっとちょっとぉ!イルカ、売れちゃってるじゃん!タカヒロォ!!!」
「いててて!落ち着け、奈緒!!」
悔しそうにポカポカと俺の腕を叩く奈緒。
そう、イルカは売れてしまったのだ。
「うううぅぅ〜〜〜、ちゃんと見ててっていったのにいいぃぃぃぃ!!!」
「んなこといわれてもなぁ・・・」
「あたしのイルカちゃんんん〜〜〜〜」
そんなに気に入ってたのか。何だか悪い気がしてきた。
「か、帰りに代わりのものを探そうよ?奈緒」
「あれじゃなきゃイヤなのぉ!!」
似たようなものは結構あると思うんだけどな。
乙女心はよくわからん。
「とりあえず行くぞ、ほら」
「タカヒロのバカァ・・・」
このままじっとしていてもしょうがない。
名残惜しそうな奈緒を抱きかかえるようにして水族館の中へと足を進めた。
ブツブツ言ってる奈緒を連れてゆっくりと館内を歩く。
深海をイメージしたライティングや円形のドーム状の通路が美しい。
軽く感動している俺を見ているうちに、奈緒も機嫌が直ってきたようだ。
「鯨だよー!タカヒロ」
俺たちの目の前を大きな生物が横切った。
でもあれはシャチです。
「そ、そうだとおもったけどボケてみただけだよっ!!」
ホントか?
まあ・・・とりあえずそういうことにしといてやろう。
しばらく歩くと屋外に出た。
そこには小さなプールがいくつもあり、それぞれに人だかりができている。
「ペンギンかわいいー」
両手をパタパタさせてペンギンの真似をする奈緒。
その様子はなかなか萌えるものがあるけど・・・あいつらは生臭いです。
「ムードないなぁ、タカヒロ。ブチ壊しだよ!」
「てめ・・・」
売店で騒いでたお前がムードを語るな、といいたいところをぐっと堪える俺。
偉い・・・我ながら偉すぎる。
しばらくペンギンやアザラシを見てから再び館内に戻る。
今度はまた別の生き物・・・特に珍しい海洋生物を集めたスペースのようだ。
「マンボウだよ!」
「・・・」
ゆっくりと目の前に浮かぶマンボウ。
マンボウと聞いて都内のマンガ喫茶を思い出した。
しかしもちろんそんなことは口に出せない。
またボコボコに言い返されてしまうのが目に見えてる。
「で・・・でっかいなぁ」
なんとなく取ってつけたような感想。
「なによ!もうっ・・・タカヒロ反応薄すぎー!!」
どこか上の空な俺の気持ちを見透かされたのだろう。
奈緒はキレて一人で先へ歩いていってしまった。
(まあいいか・・・ちょっと落ち着こう)
奈緒の背中を見ながら、俺はマンボウと一緒に一息つくことにした。
実際のところ、あんなに可愛らしい格好をした奈緒の姿を見たのは初めてだった。
会うたびに可愛くなっているとは思ったが、今日は特に気合の入った可愛さだ。
俺は電車に乗るときからずっとドキドキしっぱなしで疲れていた。
「お前のせいだぞ、奈緒」
俺の呟きを聞いたマンボウがゆっくりと反転した。
ほんの少しの間、俺はぼんやりとしていた。
だがいつまで経っても奈緒が戻ってこない。
水族館にいる限り安全といえば安全だが、何があるかわからない。
「圏外か・・・」
取り出したケータイの電波を見ると絶望的だった。
慌てて俺は奈緒が消えていった通路の先へと急いだ。
通路の先にいるはずの奈緒を探すのは困難を極めた。
予想以上に人だかりが多く、この水族館のメインスポットだったのだ。
(奈緒ー!)
似たような格好の女の子を捜す。
しかし見当たらない。
もう既に入り口まで戻ったのか?
そんな思いが頭の中をよぎった時、左後ろのほうで聞き覚えのある声が――
「やめてよぉ・・・」
俺が振り返った先にはトイレの表示灯があった。
その真下で奈緒とおぼしき女の子が男に腕を掴まれてる。
「奈緒っ!」
「あっ、タカヒロ!!」
俺は人ごみを掻き分け、奈緒のほうに近づいた。
「あ?なんだテメーは」
奈緒の手首を掴んでいた男が振り返った。
荒々しい口調で俺に対して敵意むき出しなのがわかる。
おそらく奈緒をナンパして断られたのだろう。
だが俺はそんなことにかまわず奈緒を掴んでいる男の手を握りつぶした。
グギャッ
「痛っ!! ぎ、ぎゃあああああああ!!!」
突然の痛みに、奈緒を掴んでいた手をパッと離す男。
俺もとっさのことだったんで手加減できなかった。
ちなみに俺の握力は150kg・・・まあまあ強いほうだ。
「消えろ。」
俺が一瞥すると、金髪の男は痛みに顔をゆがめながらその場を立ち去った。
先へ
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