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ここは都内某所のスポーツアリーナ。
400〜500人程度が収容できる多目的ホールである。
招かれたのは報道陣とボクシングファンの学生たち。
観客の男女比率は男性のほうが若干高い。

試合は第1ラウンドが開始したばかりだが、予想以上に白熱した試合展開に場内は水を打ったように静まり返っていた。
みな試合の成り行きを見逃すまいと息を呑んで会場の中央を見つめている。
今行われているのはボクシングのエキジビジョンマッチ。
男子プロボクサーが女子のアマチュア選手に胸を貸す名目で行われた親善試合である。

女子アマチュアボクシング会からの突然の試合申し入れに対して、当初はプロボクシング協会は慎重な姿勢を貫いた。
男子と女子の体格差は歴然としている。しかも男子側はプロである。
ライセンスを取得したその拳はもはや凶器である。
いかなる理由があれ女性に向けられるべきものではない。

ひたすら渋い対応を示すプロボクシング協会に対して、女性側からハンディキャップ制を提案することでこのカードは成立した。

まずはラウンド数の制限。最大で5ラウンドまで。
次にグローブの重さについての男女差。
女子には特に制限がなく素手以外ならどんなものでも使用できる。
しかし男子は必ず練習用の大きなグローブを使うことになった。
ヘッドギアの使用については女子は認められる。
その他細かい部分を煮詰めた上で、今回の試合運びとなった。


キュッ、キュッ、キュッ・・・・・・

特設会場の中央で、軽快なリズムを刻む青年。
時折軽いジャブなどを放ち、相手を威嚇している。
この青年のファイティングネームはステルス加藤という。
ホールの空気は彼の放つ独特の緊張感によって研ぎ澄まされていた。

スポーツ誌は「彼のパンチはまるでカミソリのような切れ味と鉈のような重さを持つ」と評していた。
体格でいえばスーパーライト級の加藤である。
しかし日々のストイックすぎる鍛錬が彼のフットワークにフェザー級の軽やかさを与え、拳に2階級上の破壊力を持たせた。
彼のアマチュアボクシングでの戦歴は108勝無敗。すでにA級ライセンスも取得した若手ボクシング界期待の星である。
また女性客からの受けもよく、甘いマスクと鍛え上げた肉体美にはすでに多くのファンがついているようだ。


キュキュッ!

リングに円を描いていた足運びが止まる。
今まで様子を伺っていたライオンが獲物を追い詰めるかのように、加藤は一瞬で静から動へと転じた!
素早くステップインすると同時に繰り出される鋭い左拳。

「シュッ!」

セコンドにいるジム会長は彼の左ジャブをステルスと呼んでいた。
実際に彼が身につけたジャブは元日本ランカーである会長がみても惚れ惚れするほどであった。
正面に立つ相手にしてみれば彼のパンチは軌跡が読みにくい。

(よし、ノーモーションだ!)

まったく無駄のない筋肉の動きで繰り出されるパンチは相手の反応を遅らせる。
加藤の日々の鍛錬の賜物である。



「んっ」

そんな一級品のパンチを対戦相手の女性はギリギリで回避した。
後ろでひとつに結んだ美しい髪が揺れる。
彼女の後ろの観客からは加藤のパンチがクリーンヒットしたように見えたはずである。
女性特有のしなやかさを発揮して身体をのけぞらせてパンチをかわす。
だが加藤の攻撃は終わらない。

「シュシュッ!!」

気合と共に、先ほど放ったジャブにかぶせるような右ストレート。
さらに肩口を前に突き出すことで相手にスウェーを許さない。
あざやかなワンツーである。
しかしこのパンチも敵には届かなかった。

くんっ!

閃光のような加藤の右を横目でしっかり捉えながら、相手は首をひねって攻撃をかわす。
真っ黒なタンクトップの下のバストが柔らかそうにゆれた。
目にも止まらぬ一瞬の攻防に観衆からも溜息が漏れた。

「ステルスのパンチはやはり切れてるなぁ」

「でも女子のほうもよくかわしてるよね!」

「なぁに、もうすぐ加藤の右が捕らえるさ・・・」

目の肥えている観客の評価をよそに試合は進む。


カーン!

ここで1ラウンド終了のゴングが鳴り響いた。
この回の判定はイーブン。どちらもクリーンヒット無しだ。
さすがは女子アマチュアチャンピオンというべきか。

「次のラウンドが勝負・・・ってところね・・・」

彼女の名前は広瀬奈緒(ひろせなお)。
ステルス加藤とは同じ高校の同級生である。
小中高とスポーツ万能で通してきた彼女は自分の優れた反射神経を活かすべくボクシングを始めた。
もともとかなり美形で有名だった彼女にマスコミも注目した。
久しぶりのスポーツアイドル発掘・・・取材に当たった新聞記者は、汗臭いボクシング界に咲く一輪の花・・・当初はその程度の認識ではあった。
だが彼女の動きを見た記者は考えをガラッと変えた。
165cmの長身やグラビア映えする綺麗な顔立ちよりも、アスリートとしての潜在能力の高さに気づいたのだ。
長い手から繰り出されるパンチ、ゆったりとしたリズムで場を支配する雰囲気は男性にはない特長だった。
何よりもその動きが見ていて美しい。
相手の動きにあわせて放たれるカウンターには目を見張るものがあった。
ボクシングというよりは洗練された舞踏を見ているようだった。

(いつかこの子と男子を戦わせたい。しかもアマチュアではなくプロで!)

その記者は奈緒への取材を繰り返し、彼女の意向を確認した上でプロボクシング協会と彼女との架け橋となった。




ゴングが鳴り赤コーナーに戻る加藤を会長が迎えた。

「おい加藤。相手にダメージはあるのか?」

「さあ、どうだろう・・・1ラウンドで倒せなかったことだけは確かだ」

うがい用の水を吐き出してから加藤が答えた。
その視線は対角線上の敵を睨んでいる。

「しかしかなり速いな、あの子。お前手加減しているわけじゃないよな?」

「手加減?・・・ありえない。それよりも気になるのは・・・」

「なんだ?」

いぶかしげな顔で加藤を見つめる会長の後ろからセコンドアウトのアナウンス。

「いや、なんでもない。行ってくるぜ、オヤジ!」

「ああ決めて来い!」

加藤の背中をパンと叩いて会長は素早くリングから離れた。


第2ラウンドのゴングが鳴り、リング中央で軽く拳をあわせる。
まったく呼吸を乱していない対戦相手を見て息巻く加藤。


「広瀬・・・このラウンド、覚悟しろよ!」

「お手柔らかにね、アキラ♪」

余裕の笑みを浮かべながら加藤に微笑みかける奈緒。
アキラというのは学校で彼女が加藤を呼ぶときの名前だ。

「行くぞ!」

触れ合った拳を振り払うと、加藤は猛然と攻撃を仕掛けた!
立て続けに素早くジャブを放つ。
空気を切り裂く音が周囲の観客に伝わる。

「そんなに慌てなくても、じっくり苛めてあげるよ」

バチンッ!

奈緒は自分の顔面に向かってくる加藤の左を、下から右のショートアッパーでかち上げた!

「なっ・・・」



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